留学のお話 -1- のつづきです。
kahana の 野望は、彼の NO! で無残にも潰えてしまいました。
そして、
それから、3年。。
逆転満塁ホームランのごとく。。息子ユータが留学を決断する時が来るのです。。(ちょっと大げさですね(笑))
中学2年生になっていた ユータ君。 学校での成績は。。後ろから数えた方が早い?(笑)くらいで悲惨なものでした。
ユータが通っていた中学校のレベルは、市内では高い方だとは思います。
しかし。。。
あまりにも勉強をしなさ過ぎます。。これでは、高校進学どうする!!ユータ!!状態でした。(^_^;)
こんな状態だった頃、親子で東京に遊びに行きました。
泊まったホテルは、今はなき 『赤坂プリンスホテル』
そこでの、朝食の時の話です。
赤坂という場所は、回りに大使館や外資系の企業のとても多い場所。
なので、ホテルで朝食を食べている人も、外国人がかなり多くいます。
そんな中、kahana親子の隣には、欧米人と日本人のグループが座っていました。
聞こえてくるのは、英語。
日本人もかなり流暢に英語を使っています(今考えると当たり前ですが。。)
これが、ユータには 軽いカルチャーショックだったようです。
2歳の時からハワイには連れて行っていたので、海外に出るとそこで日本人が英語を話していても当たり前だと思っていたと思います。
しかし、日本に戻ってきたら、岡山では、外国人も少ないですし。。私たち家族の周りにはほとんど流暢に英語を喋る日本人はいませんでした(当時)
なんか かっこいいぞ!!英語を喋れる日本人!!
そんな感想を持ったのでしょう。
「母さん、俺 留学してもいいかも。。」と言い出したのです。
理由が、英語が喋れるとかっこいい。自分もかっこよく英語を喋れるようになりたい。
そうなったら。。ちょっと優越感かも。。なんて単純なものであったと思われます(^▽^;)
でも、理由なんてどうでもいいのです。
彼が留学してもいいと思い始めた。。(笑)このチャンスを逃す手はありません。
さっそく ネットを駆使して 留学をコーディネートしてくれるエージェントを探し始めました。
そして、見つけたのが 大阪にあった 『EDICM』 (今はもう大阪には事務所がないようです)
こことの出会いは、今考えても私たち親子にとってとてもラッキーな出会いであったと思います。
とても熱心なエージェントの方と出会い、留学先の選定や、学校の入学担当者との面接など、私たちには全く未知の難しい留学準備を、ちゃくちゃくとやってくれました。
もちろん、ただではありません。今考えてもかなりの費用がかかりました。
それでも、やはりプロのエージェントさんたちの力があったから、スムーズに留学準備から留学まで実現出来たのだろうと思います。
親子二人で アメリカ東海岸の5つの高校を見学にも行きました。
ここで、なぜアメリカの東海岸なのか?と疑問に思う方も多いでしょうか?
あの当時 岡山に暮らしている私たちには、アメリカの西海岸の サンフランシスコやロスアンジェルス シアトル あたりが、アメリカのイメージでした。
だから、東海岸の ニューヨークやワシントンDCやボストンは、かなり遠い異国の街でした。
でも、だからこそ、息子を留学させようと思ったときにイメージしたのは、赤レンガの校舎に、寮生活。
生徒の人数は少なくて、寮監督の先生が一緒に寮に住んでいて。。
そう、まさに ハリーポッターの学校の雰囲気です。
そんな高校生活を送るには、西海岸ではなく、東海岸だと思ってしまったのです。
そして、アメリカ コネチカット州の小さな村の 私立高校にユータは、留学したのです。
高校での話や、その後のアメリカの大学に進学する時の話。
ハワイ大学での勉強のこと。。など。。
また別に機会にお話したいと思います。
(どれもこれもエピソード満載で。。ww)